一般記事

県文化財保存課 空間文化開発機構で 太安萬侶墓保存活用計画策定 5年度に基本設計等を委託予定

2022.7.1 県文化・教育・くらし創造部

 奈良県文化・教育・くらし創造部文化財保存課は、一般競争入札「史跡太安萬侶墓保存活用計画策定支援業務4文財第2号」を6月20日に開札し、落札した空間文化開発機構(大阪市中央区大手前1丁目)に業務を委託した。業務場所は奈良市此瀬町(史跡太安萬侶墓)。委託期間5年3月24日。
今年度に活用計画を策定した後のスケジュールは、令和5年度には測量と基本設計を、6年度に発掘調査と地質調査を行う予定で、文化庁との協議等が順調に進展すれば、7年度以降に実施設計を経て工事着手する見通し。担当は記念物・埋蔵文化財係(電話0742―27―9866)。
 この業務の対象地である「史跡太安萬侶墓」は、平城京の東方約10㌔㍍に位置し、奈良市此瀬町の茶畑内に所在する。昭和54(1979)年1月に偶然墓誌が発見され、墓誌の内容から『古事記』編纂者として著名な太安萬侶の墓であることが判明した。「太安萬侶墓とその墓誌の発見」というニュースは、マスコミにより連日大々的に報じられ、考古学界のみならず一般の人からも大きな関心が寄せられた。
不時発見されることの多い奈良時代の墓誌にあって関係者の適切な対応により発掘調査が速やかに実施され、墓の規模や構造及び墓誌の原位置などが学術的な調査により明らかにされたという点でも高い史料的価値を持つと評価されている。調査後、「太安萬侶墓」は昭和55年に史跡指定され、「墓 誌」は昭和56年に重要文化財に指定された。
この「墓誌」が再び脚光を浴びることとなったのは、県立橿原考古学研究所附属博物館により、『古事記』完成1300年記念事業として企画された、平成24年度秋季特別展『「日本国」の誕生~古事記が出来たころ~』を契機とする。この特別展に際し実施された墓誌の三次元計測により、昭和56年に刊行された発掘調査報告書の考察では、鋳型の傷の可能性が指摘されていた「細隆線」は墓誌銘と酷似した毛筆痕跡であることが確認された。
「太安萬侶墓」の史跡指定からはや40年が経過したが、この間に地元である此瀬町自治会により除草など献身的な維持管理が実施されてきた。しかし近年に至り、此瀬町自治会の人々の高齢化が進み、急傾斜地に位置する史跡の管理は大きな負担を伴うものになっているという事実も顕在化してきた。
このような状況を踏まえて今後も持続可能な史跡管理のための園路整備等を検討することを目的として、県では令和4年度より「史跡太安萬侶墓整備検討委員会」を設置する。そのうえで史跡整備のあり方を検討するとともに、将来的な活用についても併せて検討することとした。
その具体的な方策として地元此瀬町の現状と課題を踏まえつつ、関係法令等や周辺での開発計画なども勘案し、委員会での議論を通じて「史跡太安萬侶墓保存活用計画」を策定していく。
保存活用計画の作成に当たっては過去の資料や既存の計画・構想に沿った史跡の保存・活用方法と保存・活用のテーマ及び施設整備規模や管理運営等について検討し、長所と短所を取りまとめる(この取りまとめ及び活用計画の文章作成については県が行う)。受注者は保存活用計画に必要な図面(地形図等)・表などを作成する。作成数は50点程点程度。

会員登録
一覧に戻る